【歴史を知る方がモテる⁉】いろんな歴史に興味を持とう

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kitajin
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改めまして、低身長コンプレックスおっさんのkitajinです。

本記事では、歴史を趣味にする、を提案してみたいと思います。

自分の暮らす町を見渡せば、必ずどこかに歴史的なモノが溢れていることに気づかされます。

それは先人たちが脈々と受け継いできた営みが現在に続いているので当然ですが、つい現在を生きている我々は忘れがちになってしまいます。

そんな過去を、たまには振り返えることで、今があることに感謝できるのではないでしょうか。また、過去に学び、過去を知ることで、未来を予測できるきっかけにもなるのです。

そういう姿勢が、人間的な深みとなって、モテる男性へとなれると考えています。

少々、話が飛躍していますが、物は試しと、興味をそそられた人は最後までご覧ください。

kitajin
  • 静岡県浜松市在住
  • 身長157㎝低身長コンプレックスおっさん
  • 30年間様々なコンプレックスを抱えてきた
  • 現在はコンプレックスを克服して精力的に活動中

歴史の楽しみ方

偉人

自分たちの町に、どんな偉人がいるのかを調べるのはどうでしょう。

その地で産まれ育った人がなぜ偉人となったかや、その人が残した功績などを知ることで、今まで見てきた風景が変わるかもしれません。

果ては、人の運命の妙や、時代の流れというものが感じ取れるでしょう。

産業

産業もまたその土地ならではのものです。

風土、地理、特産物で産業が作られ、そこに人が集まり町ができます。

かつて鉱山などがあった土地では人々が集まり、町ができ、そこから経済活動が発展していきました。

産業によって、人が動き、町が出来て歴史が作られるのです。

風土

風土の歴史は、その土地にある自然の恩恵です。

その土地を形成する気候、地理的条件などを利用して出来た産業や風習などを改めて見てまわることで、過去の人の暮らしが見えてきます。

自然に合わせて、生物は変化していきます。風土を知るとこで、それがよく解ります。

風俗

人が暮らすことで、風俗が生まれ、それを学ぶことでも多くのことを知ることができます。

産業が発展して人が集まれば、生活が営まれ、風習、風俗が出来ていきます。

それは現代に、お祭りだったり習わしだったりと残されており、そのルーツを辿ることも楽しめるのではないでしょうか。

建物

建物もまた歴史を知るうえで参考になるモノです。

建物は歴史を映し出す鏡であり、古い建物はそれだけで歴史的価値があります。

建物に触れることで、利用してきた人々が見えてきて、何を思い、生きてきたかを垣間見ることができます。

道具

道具を見れば、その時々の生活水準と、どんな産業が発展していたかを知ることができます。

昔の人たちは、身の回りにあるものを上手に使って、余すことなく生活に取り入れてきました。また、道具を使って、どんな仕事をしていたかが分かります。

道具を見ることで、その時代の人々の生活を垣間見ることができます。

歴史的事件

教科書に載っていたり、ドラマや小説などで取り上げられる歴史的事件の現場を見て歩くこともまた興味深いモノです。

過去に事件が起こった場所はすでに現存していない場所が多いでしょうが、それでも、その地に立ってみれば、かつて、その場所で起こった事件を思い起こし、感慨深い思いに駆られるのではないでしょうか。

暦で見る

特定の時代にスポットを当ててみるものいいものです。

戦国時代や江戸文化と一口に昔と言っても、何十年、何百年と間隔があり、まるで違うモノだと気づかされます。

現代ほど歩みは早くはないですが、その時代、時代で確実に進化を遂げていることに気づかされます。

どこを訪ねるか?

偉人ゆかりの地

一人の偉人のゆかりの地を追ってみるのもいいかもしれません。

例えば有名な土方歳三なら、東京に生まれ、新選組として京都に滞在し、その後、旧幕府軍として新政府軍に追われ、どんどん北上していきついに北海道函館の五稜郭で戦死したと言われています。

土方の当時の足跡を辿るだけでも相当な旅が楽しめると思います。

お城

日本には現存する城が多数あります。

また天守閣がなくても跡地なども多く、かつてそこがお城であったことに思いを馳せるのもいいかもしれません。

観光地になっている場所も多いので、周辺の施設や史跡を回って、一日過ごすのも楽しみの一つです。

神社仏閣

昔の人の信仰は現代人と比べ物にならないくらい身近なモノだったと言います。

今でも残っている神社の何々祭などは、昔の人の娯楽の一つであり、今でも多くの人を集める行事です。

神社仏閣を訪れるだけで、日常と違う感覚を味わえますし、気持ちが新たになります。

まさにパワースポットではないでしょうか。

史跡めぐり

史跡とは、歴史に残る事件に関係のあった場所・建物や遺構。文化財保護法で,貝塚・古墳・都城跡・旧宅その他の遺跡で我が国にとって歴史上・学術上価値が高く,重要なものとして文部科学大臣が指定したもの。

歴史的価値のある場所は全国に点在しています。

その一つ一つに歴史があり、人の手が掛かっているのです。

自然

自然は歴史を刻んでいるように見えませんが、間違いなく時を刻み続けています。

ゆっくりとした変化で、変わっていく自然を歴史的観点から見るのもまたいいものです。

例えば富士山などは、ずうっとあの場所にあって、その時々の人々の記憶に残っていると考えると感慨深いものです。

樹齢何百年の木なども、大昔の人もこの木を見て触っていたと思うと見方が変わってくるでしょう。

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続きまして、身近なものの歴史について紹介していきます。

パチンコの歴史 

kitajin
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僕が初めてパチンコを打ったのは18の時です。

当時は麻雀物語という台が大人気で、その台を初めて打った時に大勝ちしたことがパチンコにハマるきっかけになりました。それから時を重ねて、様々なパチンコ・パチスロ台が出ては消えていきました。また台だけではなく、換金率やプリペイドシステム、規制などパチンコ店を取り巻く環境はこの30年で本当に大きく変わりました。

ここでは、具体的にどのように変化したのかをこれからボクの視点ではありますが見ていきたいと思います。

現金機からCR機への変化

ボクがパチンコにハマりだした頃は、500円硬貨にくずして、台の横に設置してある玉貸し機にお金を入れて、玉を借りていました。

玉が上のレーンから降りてきて、留め金で止まっているのを手で押し上げると、玉が掌に溜まるので、それを上皿におろして打ち始めるのでした。

それが、今度は、500円を入れると自動に玉が上皿に流れるように誘導するプラスチックのホースのようなものが取り付けられるようになます。そして、プリペードカードが登場したことにより、ボタン一つで、玉が上皿に流れでるようになりました。

このように、玉貸し機一つとってもパチンコ台は進化してきましたが、中でも一番大きな変化としては1990年代に導入されたCR機ではないでしょうか。

それまで、パチンコといえば硬貨で玉を借りていたのを、券売機に売っているプリペイドを買って、そのプリペイドを台横のカードリーダーに差し込んで、借りるようになったのです。

このプリペイドがなぜ導入されたというと、業界の不透明なお金の流れを透明化させるためと言われています。

当時、パチンコ店は脱税のし放題であり、それを重く見たパチンコ遊技協会がプリペイドシステムを導入したと言われています。

CR機の主な特徴としては、その出玉性能にありました。

初当たりすると、3回の大当たりの権利を確保して、その内にもう一度、特定絵柄(奇数など)を引くと、また3回権利が復活するというものでした。

数珠つなぎ連チャンと言われるこの連チャンで、爆発的な出玉が可能になり、ギャンブル性が上がったことで、一気にパチンコ熱も上がることになります。

あまりにもギャンブル性が高くなりすぎたために、ギャンブル依存症や子供を車内に置き去りにするという事件が、社会問題となり始めたのもこの頃からでした。

やはりパチンコやスロットの本質はギャンブルであり、如何に勝てるかというのが面白い基準であるということがよくわかります。

4号機から5号機への変化

CR機に規制がかかると、今度はスロットに注目が集まります。4号機時代の到来です。

スロットの4号機時代は群雄割拠の爆裂AT機など、ギャンブル性が極端に高まった時代でもあります。

面白いもので、CR機が廃れていくのと入れ替わるようにスロットが台頭するようになり、そうなると、いつのまにか、ボクもパチンコからスロットへとやる台が変わっていきました。

ボクが記憶では、スロットで最初に打っていた台は3号機時代のスーパープラネットです。略してスープラと呼ばれ、多彩なリーチ目やボーナス成立時のみに発動する特定絵柄などが人気の台でした。

その後、ドリームセブンJRなどを経て、1992年に4号機時代に突入します。最初は大人しかった4号機ですが、徐々にその頭角を現して、2000年代に入ると、狂乱の時代に突入し、様々な問題を引き起こします。

特に爆裂AT機と言われた初代ゴッドや驚異の機械割261.6%(設定6)の神輿など狂った時代でした。

それらの影響からか、依存症になって消費者金融からお金を借りたり、犯罪を犯す人が後を絶たなかったことから4号機に規制が入り、5号機へと突入するのでした。

そして、現在は5号機も終わりを迎え、2018年から6号機時代へと突入したのでした。

店の変化

ボクが子供の頃のパチンコと言えば、景品にチョコレートなどお菓子やタバコと交換する時代で、大量にお菓子をゲットしてきた近所の兄ちゃんを羨ましく思っていたことを覚えています。

それから時が経ち、十八になった頃、友人に誘われて初めてパチンコ店に入った頃には、既にパチンコ人気に火が付き始めていたころでした。

当時は、ニューヨーカーという羽モノ台が、人気でした。

その後、CR機が導入された頃から、パチンコはマスコミにも取り上げられるようになり、知名度を高めていきました。

芸能人がパチンコを打つだけの番組などが流行り、パチンコ店や台のCMもよく流れていました。その効果があったのか、パチンコ業界は飛躍的に業績を伸ばして行きました。

この頃から、パチンコ店にも勝ち組と負け組の差が大きく分かれるようになるのです。勝ち組はどんどん店舗数を増やしていき、時流に乗って全国に展開する会社も出てきます。

元々、パチンコ店というのは地域密着型であり、こじんまりとした店が立地の良いところにポツリとあったのですが、パチンコ人気に火が付くと、雨後の筍のように増えたのですが、ヒドい店も多く、ボッタくりのように出ない店も数多くありました。

また、立地も考えずにとりあえず建てた店や郊外なのに駐車場が狭かったり、人口が極端に少ないド田舎に建てたものだから、瞬く間に消えていきました。

今でも、田舎を走っていると、潰れたパチンコ屋の建物を見ることがあります。解体するのにも莫大な費用が掛かるので、どうにもならないのでしょう。

また、店の内装も大きく様変わりしていきました。

先ども挙げたようにパチンコ台の横にあるサンドの変化は、両替機を使って玉を硬貨で交換していたのが、現在では、お札を入れてそこから一定数の玉を出すと言う方法に変わりました。

また大当たり回数なども、昔はお手製の札を当たった回数だけ台の上のスペースに札を付けていくという至ってシンプルな方法だったのですが、それがデジタルの掲示板に変わり、大当たり回数のみならず回転数や出玉数などまで分かるようになりました。

そして、現在はそれら台の大当たり情報がいちいちスマホで確認できるというのですから大したものです。わざわざ閉店間際の店に行って、その日の大当たり回数をチェックしていた昔が懐かしいです。

また、画期的な変化として、 昔は出玉はドル箱へと移して、箱が玉でいっぱいになると、台上部の呼び出しランプを押して、店員を呼び、箱の交換をするのが主流でした。

さらに大当たりが続くと、店員はドル箱を積み上げて客席の横に積んでいき、隣の客と違いが分かるように札などを付けておくのが仕事でした。

そして、ドル箱が通路いっぱいになると、メイン通路にドル箱の山を移動して、目立たせるように積み上げるのでした。

現在でもジェットカウンターがついてない台ではそういう演出をしている店がありますが、昔の出玉を知っている人間にとっては寂しく見えるものです。

そして、2023年1月から導入されたスマートパチンコなどは、玉に触れることなく、完全に台の中だけで行き来するようになるというのですから、もはやゲームのパチンコと変わらなくなってしまいました。

業界の変化

パチンコ業界もこの30年で大きく様変わりしました。

それは、業界が自分から変えたというより、規制が入ったりその他、様々な社会問題などが起こり、変わらざるを得なくなったのです。

そんな中で、景気の後退やコロナ禍の影響もあり、パチンコ人口は減り続け、ピーク時は、30兆円産業と言われていたのが、現在の市場規模は、約半分の14.6兆円(2021年)まで下がっています。

参照 遊戯産業レポート2023

タバコの歴史

kitajin
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続きまして、タバコの歴史について話していきたいと思います。

ボクが子供の頃、タバコは日常のいたるところにあり、父親に頼まれて、自動販売機でタバコを買いにいき、釣銭をお小遣いとしてもらっていた記憶があります。

それが何時しか、子供がタバコを買いに行く時代は終わり、それどころか、至る所で規制が入り、それどころか、税金はどんどんと上がるのに、吸う人は、嫌われ者として扱われるようになったのです。

そんなタバコの歴史を改めて振り返ってみましょう。

タバコの起源

タバコの起源は、一説によると、中央アメリカのマヤ族が神への供物として使われていたのが最初で、乾燥したタバコの葉を火にくべて、それを吸っていたいという記録があります。

タバコは、ナス科のニコチアナ属の植物で、現在、世界で最も多く栽培されているのはニコチアナ・タバカム(Nicotiana Tabacum)という学名の種です。

宗教的儀式に使われていたタバコですが、次第に常用されるようになり、それが人々の間に広がり、様々な形態に変化して世界中に広がっていきました。

喫煙方法は民族の風習の違い等によって変わっていき、竹や動物の骨を利用して吸ったり、葉を巻いて吸ったりと文化圏、時代背景と共に変化していき現在に至ります。

タバコを広めたのはコロンブス

喫煙習慣が全世界に広がるきっかけになったのが、コロンブスだと言われています。

1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見して、原住民の吸うたばこに興味を持ったことから、彼がそれをスペインに持ち帰り、貴族を中心として大流行していきます。

そこからタバコの葉の栽培が始まり、そこからヨーロッパ中に広がっていったのです。

その後、19世紀になり、第一次産業革命と共に紙巻タバコの大量生産が始まったことで、喫煙習慣は一般庶民にも広まっていくのでした。

日本のタバコは、鉄砲とともに入ってきた

日本にタバコが入ってきたのは、1543年種子島に鉄砲が伝来してきた時に上陸したといわれています。

その後、1601年にキリスト教伝道師から、徳川家康にタバコの種子を贈られたことから、広まりました。タバコを医薬品と聞きつけた家康が、タバコ栽培を奨励したと言われています。

また同じく1601年に肥前国平戸(長崎県平戸市)に来航したフランシスコ会員が平戸藩主松浦鎮信に、タバコの種子を贈呈したという記録が残っています。

これを記念して、平戸城跡である亀岡神社には「日本最初 たばこ種子渡来之地」の石碑が建てられています。

ところが、徳川幕府はタバコの葉を栽培することは、米の作付け面積が減少すると危惧して、タバコに関する禁令を出しています。

しかし、タバコを吸う人の数が多くなり、タバコを生業とする藩も出てきたことから、1624年には禁止令が解かれて、合法化されるのでした。

江戸時代に入ると、タバコは庶民の文化にも広がっていきました。

社交の場で煙管などの喫煙道具を見せ合い、人よりも凝ったものや良いものを持つことが自慢とされていました。

酒と同様にタバコを嗜むことは“一人前”の証であり、酒やタバコを嗜んで世間との付き合いをよくすることが家業の繁栄にもつながるという考え方があったようです。

タバコの歴史 近代

明治

明治以降、たばこ税が定められると共に、たばこの栽培、製造、販売も本格化し、それにつれて喫煙習慣も更に広がっていきました。

しかし年少者にも喫煙が広がりだした為に、明治27年(1894年)に「小学校での喫煙を禁ずる」との訓令が出されました。

そして明治33年(1900年)に健全なる青少年の育成を目的として、「未成年者喫煙禁止法」が施行され現在に至ります。

やがて、明治期に入る日本でも紙巻タバコが登場し、政府は税収入の増大を図るため「煙草専売法」により国の管理下におきました。

以来、大蔵省専売局から日本専売公社へと引き継がれ、昭和60年3月までの専売の時代が続きます。

現在は、民営化され日本たばこ産業(JT)と契約した農家のみ原料用として栽培することができ、JTは農家が売り渡す葉タバコの全量購入を義務付けられています。

昭和

戦時中


太平洋戦争では、兵士たちにタバコが配給され、戦時中の精神的な支えとなっていたと言われています。

その日の任務が終わったのちにタバコが支給され、一日の労苦をタバコで晴らしていたようです。また、敗戦後の日本では財政不足においった政府にとって、タバコは重要な財源になりました。

しかし、極端な品不足でタバコの配給が間に合わず、外国からの横流しで闇市などで売られるようになったのです。

たばこの健康影響についての関心

戦後、喫煙率が上昇するにつれ、健康への影響にも関心が向けられるようになります。

1950年代のアメリカにおいて、喫煙と健康の問題に関する報告書が提出されてから、健康と喫煙に関する意識が変化していくきっかけになりました。

喫煙と肺がんとの関係についての疫学的研究が数多く行われるようになり、喫煙者が肺がんに罹り易いことが明らかになり、肺がん以外にも喫煙者は口腔がん、喉頭がん、食道がん、胃がん、膀胱がんなどのがんに罹るリスクが高いことも明らかになっていきます。

世界各国でも研究が進められ、その結果、冠動脈性心疾患や慢性気管支炎、肺気腫などの病気との関連も明らかになる事で、一気に禁煙ブームが到来します。

平成

世界的に禁煙の動きが生まれた

1970年の世界保健機関(WHO)の総会において、タバコと健康に関する最初の決議が行われたことを契機に、世界各国政府に対し積極的に喫煙規制対策をとるように勧告をはじめます。

日本でも、1978年から嫌煙運動が起こり、1997年には、「厚生白書」において生活習慣病という概念が導入されてから、タバコが注目されるようになりました。

また、2002年に、東京都千代田区が、ポイ捨てに対する罰則規定を設けた『安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例』を制定し、かつ当該行為の取締を実施を始めました。

これを機に、路上喫煙禁止条例を規定する自治体が増え、路上喫煙のマナー向上に目が向けられるようになりました。

また、21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)の中で、タバコからのあらゆる保護を目的として対策が講じられるようになり、2003年5月1日に施行された健康増進法において、受動喫煙を防止する措置を講じるよう努めなければならない旨が規定されました。

さらに、2005年7月以降、タバコのパッケージには注意を喚起する表示が義務付けられるようになる等、社会としても禁煙への動きが着実に進んでいきます。

令和

2019年7月1日から健康増進法が一部改正されて、受動喫煙防止条例が施行されました。

それにより、学校・病院・児童福祉施設等・行政機関の庁舎等では、敷地内での全面禁煙となっています。

そして、2020年4月1日からは全面施行となり、多数の人が利用する様々な施設が原則屋内禁煙となりました。

また、2022年10月には、またしてもタバコの一部、増税があります。これにより、加熱式タバコが増税されました。

一体この先、タバコの未来はどうなっていくのでしょうか?

最後に

kitajin
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 僕自身、今まではそれほど歴史に興味がありませんでした。それでも四十を越えた辺りから、歴史に少しずつ興味を持つようになり、自分のルーツ、昔の人の生活、考え方、歴史を通して、どう変わってきたかということに関心が行くようになりました。歴史に興味を持つのは自分のことを深く知ることにもつながるのではないでしょうか。

どんな業界でも変化の波は訪れて、それに対応しながら生き残っていかなくてはなりません。

しかし、パチンコ業界に関して言えば、その変化は著しく、お客にとっても、ついていくのも大変な業界です。これも三店方式を始めとした、パチンコはギャンブルではなく遊戯だという、歪みが、いびつな形として表れているからではないでしょうか。ともかく、今後もパチンコ業界の変化には目が離せません。 

こうしてタバコの歴史を振り返ってみると、日本でもタバコの扱いが必ずしも平たんでなかったことが窺われます。

江戸時代にタバコの禁止令が出ていたり、明治時代では、未成年によるタバコの健康被害が叫ばれて、タバコを吸うのに年齢制限が設けられたりと、様々な動きがあった事は驚きです。

そして、現代はタバコは完全に悪となり、健康を脅かす存在となっています。果たして、今後、タバコはどのように変化していくのか、吸わなくなった今でも、注目しています。

以上、歴史を知れば、人間的な魅力となりモテる要素になるかもしれません。皆さんも一つの事柄の歴史を調べてみてはいかがでしょうか。

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